僕の青春の大スター 西城秀樹

外国人のスーパースターがどんなに偉大でも、やっぱり日本の大スターには敵わない。

その大スターの頂点に君臨し、青春を共に駆け抜けた西城秀樹が亡くなるなんて、哀し過ぎます。

テレビで見るたびに非日常にいざなう圧倒的な輝きと華やかさは、同性が羨望の眼差しになるほどの国民的大スターの極みでした。

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今のスターがどれだけ人気でも、当時の西城秀樹の存在感には敵わない。

以降の"スターの要素"を確立し、

多くのミュージシャンに連綿と大きな影響を与え続けて来ています。

当時、マイナーだったデビュー曲「恋する季節」のレコードを購入したんですよ。

個人的にデビュー時からスターのオーラを感じていました。

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御三家の郷や野口に比べて、ヒット曲を出すのが遅れたので、余計に入れ込みようも強かったです。

「ブルースカイブルー」や「南十字星」、「抱きしめてジルバ(ケアレスウィスパー)」にはホロ苦い恋の想い出が沢山詰まっています。

飼っていた犬にはローラと命名したほど(笑)

渋谷すばるを応援してたのは、ヒデキの面影を残していたからかも知れません。

献身的に尽くして来られた18歳歳下の奥様や溺愛してらっしゃった小さなお子様達を残して旅立つことは辛いさだめですが、きっとヒデキなら天国からも力を授け続けて守り通してくれることでしょう。

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既にそれなりの財も蓄えているであろうに…、二度の脳梗塞を克服し、涙を流すほどの辛いリハビリを毎日続けつつ、半身不随でもステージに立ってファンを大喜びさせる姿をドキュメントで見た時は正直複雑だった…。

最後までスターであり続けようと精進し続けたヒデキ。辛い時はあなたの姿を思い出し、僕も精一杯頑張ります。

小柳ルミ子のブログコメント

「若いのに歌が上手くてカッコよくてセクシーだった。人としても誠実で優しくて曇りのない真っ直ぐな男だった」

樹木希林コメント

「若い頃に華やかなところにいた人は末路が寂しいものがあるけれど、家族に囲まれて人生を終われた。秀樹くんの人柄によるのかな」

天国ではゆっくり穏やかにお過ごし下さい。

ご冥福をお祈りします。

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以下はそんな西城秀樹の逸話の数々。
5/17 "週刊女性プライム"記事抜粋


急性心不全のため、5月16日に63歳でこの世を去った、歌手の西城秀樹さん。2003年と11年に脳梗塞を発症、右半身の麻痺が残る状態ではあったが、強い意志のもとリハビリトレーニングを続けながら最近までステージに立ち続けてきた。

72年のデビューから、『激しい恋』『傷だらけのローラ』『ギャランドゥ』など数々のヒット曲を連発、郷ひろみ野口五郎と“新御三家”と呼ばれる人気スターだった

その独特のシャウト唱法は、後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えた。97年には、THE HIGH-LOWSやROLLY、ダイヤモンド☆ユカイなど、西城秀樹さんに憧れて育った、有名ロックアーティストが参加したトリビュートアルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』が発売された。ある音楽ライターは言う。

アイドル的な人気の一方で、シャウトやロカビリー歌手が声を裏返して歌うような唱法など、海外のロックアーティストの唱法をうまく取り入れ、歌謡曲と洋楽ロックの世界の橋渡しになるような存在でした。

79年の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』や84 年の『抱きしめてジルバ』など、洋楽カバーのヒット曲も多く、コンサートでも様々な洋楽ロックをカバーしていました。現在のヴィジュアル系バンドの唱法も、元をたどればヒデキと通ずる部分はあると思います」

歌唱のテクニックだけにとどまらず、秀樹さんが一般的に広めた「文化」は多い。前出の音楽ライターは言う。

スタンドマイクを使ったパフォーマンスも、日本ではおそらくヒデキが最初。ワンマンでの初の野球場コンサートもそうです。今では定番の、コンサートにペンライトを導入し定着させたのも、ヒデキです

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』では、「ザ・ベストテン」で9週連続1位、この曲は番組最高得点にして、後にどの歌手も獲得できなかった「9999点」も記録している。(※大ヒット曲ながら外国曲ということでレコード大賞を取れなかった)

人気ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)などでは俳優ととして、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)や『8時だョ!全員集合』(TBS系)などではコントに挑戦、CMでは「ヒデキ、感激!!」のフレーズが印象深い「バーモントカレー」など、幅広くお茶の間の人気者だった。

「親しみ深さを持ったスターということで、当時の子どもたちの人気も高かったです」(同)

そんな気さくな秀樹さんの一面について、ある雑誌編集者がこんなエピソードを語ってくれた。

「10年以上前ですから、一度目の脳梗塞から復帰された頃だと思います」

東京・世田谷の子ども服店で編集者がショッピングをしていると、小さな子どもを連れた秀樹さんと奥さんに遭遇したという。

ご家族と一緒に、楽しそうにお子さんの洋服を選んでいたのを覚えています。その様子から、お子さんやご家族への愛を感じました

西城さんのお子さんより少し大きかったウチの子を、『おいくつですか?』とテレビと同じ優しい声と表情で聞かれました。気さくでスターぶることの全くない方だなと感じたことを覚えています」(同・編集者)

世代を超えて多くの人々に愛された西城秀樹さんの歌声を聞くことは、もうできない。

<取材・文/渋谷恭太郎>


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by nigi-style | 2018-05-19 06:21 | 生き方考え方 | Comments(0)