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僕の青春の大スター 西城秀樹

外国人のスーパースターがどんなに偉大でも、やっぱり日本の大スターには敵わない。

その大スターの頂点に君臨し、青春を共に駆け抜けた西城秀樹が亡くなるなんて、哀し過ぎます。

テレビで見るたびに非日常にいざなう圧倒的な輝きと華やかさは、同性が羨望の眼差しになるほどの国民的大スターの極みでした。


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今のスターがどれだけ人気でも、当時の西城秀樹の存在感とは比較にならないでしょう。

以降の"スターの要素"を確立し、

多くのミュージシャンに連綿と大きな影響を与え続けて来ています。

当時、マイナーだったデビュー曲「恋する季節」のレコードを購入したんですよ。

個人的にデビュー時からスターのオーラを感じていました。


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御三家の郷や野口に比べて、ヒット曲を出すのが遅れたので、余計に入れ込みようも強かったですね。

「ブルースカイブルー」や「南十字星」、「抱きしめてジルバ(ケアレスウィスパー)」にはホロ苦い恋の想い出が沢山詰まっています。

飼っていた犬にはローラと命名したほど(笑)

渋谷すばるを応援してたのは、ヒデキの面影を残していたからかも知れません。

献身的に尽くして来られた18歳歳下の奥様や溺愛してらっしゃった小さなお子様達を残して旅立つことは辛いさだめですが、きっとヒデキなら天国からも力を授け続けて守り通してくれることでしょう。


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既にそれなりの財も蓄えているであろうに…、二度の脳梗塞を克服し、男が涙を流すほどの辛いリハビリを毎日続けつつ、半身不随でもステージに立ってファンを大喜びさせる姿をドキュメントで見た時は、正直複雑でした…。

最後までスターであり続けようと精進し続けたヒデキ。辛い時はあなたの姿を思い出し、僕も精一杯頑張ります。


◯小柳ルミ子のブログコメント

「若いのに歌が上手くてカッコよくてセクシーだった。人としても誠実で優しくて曇りのない真っ直ぐな男だった」

◯樹木希林コメント

「若い頃に華やかなところにいた人は末路が寂しいものがあるけれど、家族に囲まれて人生を終われた。秀樹くんの人柄によるのかな」

TV初出演で「徹子の部屋」に出演された奥様木本美紀さん

色白で品を伴った、慎ましく美しい女性でした。秀樹を心から尊敬し、愛し、特に脳梗塞を患ってからも献身的に尽くされていた姿が健気で忘れられません。心細さや悲しい表情を一切見せずに平静を装って彼や子供達に寄り添っておられました。彼女の温かさをひしひしと感じた次第です。三人の子供達が成人するまでまだまだ大変な時期が続きますね。

番組の最後に「残された家族四人で力を合わせて、大切な子供達を育て上げることが亡くなった主人にとっても大切なこと、頑張って行きます」と涙ぐんでおられた姿を見て、ご家族の今後が幸多き毎日になりますようにと祈ってやみません。秀樹も天国から美紀さんと子供達を守ってあげて下さいね。

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ご冥福をお祈りします。

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以下はそんな西城秀樹の逸話の数々。
5/17 "週刊女性プライム"記事抜粋


急性心不全のため、5月16日に63歳でこの世を去った、歌手の西城秀樹さん。2003年と11年に脳梗塞を発症、右半身の麻痺が残る状態ではあったが、強い意志のもとリハビリトレーニングを続けながら最近までステージに立ち続けてきた。

72年のデビューから、『激しい恋』『傷だらけのローラ』『ギャランドゥ』など数々のヒット曲を連発、郷ひろみ野口五郎と“新御三家”と呼ばれる人気スターだった

その独特のシャウト唱法は、後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えた。97年には、THE HIGH-LOWSやROLLY、ダイヤモンド☆ユカイなど、西城秀樹さんに憧れて育った、有名ロックアーティストが参加したトリビュートアルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』が発売された。ある音楽ライターは言う。

アイドル的な人気の一方で、シャウトやロカビリー歌手が声を裏返して歌うような唱法など、海外のロックアーティストの唱法をうまく取り入れ、歌謡曲と洋楽ロックの世界の橋渡しになるような存在でした。

79年の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』や84 年の『抱きしめてジルバ』など、洋楽カバーのヒット曲も多く、コンサートでも様々な洋楽ロックをカバーしていました。現在のヴィジュアル系バンドの唱法も、元をたどればヒデキと通ずる部分はあると思います」

歌唱のテクニックだけにとどまらず、秀樹さんが一般的に広めた「文化」は多い。前出の音楽ライターは言う。

スタンドマイクを使ったパフォーマンスも、日本ではおそらくヒデキが最初。ワンマンでの初の野球場コンサートもそうです。今では定番の、コンサートにペンライトを導入し定着させたのも、ヒデキです

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』では、「ザ・ベストテン」で9週連続1位、この曲は番組最高得点にして、後にどの歌手も獲得できなかった「9999点」も記録している。(※大ヒット曲ながら外国曲ということでレコード大賞を取れなかった)

人気ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)などでは俳優ととして、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)や『8時だョ!全員集合』(TBS系)などではコントに挑戦、CMでは「ヒデキ、感激!!」のフレーズが印象深い「バーモントカレー」など、幅広くお茶の間の人気者だった。

「親しみ深さを持ったスターということで、当時の子どもたちの人気も高かったです」(同)

そんな気さくな秀樹さんの一面について、ある雑誌編集者がこんなエピソードを語ってくれた。

「10年以上前ですから、一度目の脳梗塞から復帰された頃だと思います」

東京・世田谷の子ども服店で編集者がショッピングをしていると、小さな子どもを連れた秀樹さんと奥さんに遭遇したという。

ご家族と一緒に、楽しそうにお子さんの洋服を選んでいたのを覚えています。その様子から、お子さんやご家族への愛を感じました

西城さんのお子さんより少し大きかったウチの子を、『おいくつですか?』とテレビと同じ優しい声と表情で聞かれました。気さくでスターぶることの全くない方だなと感じたことを覚えています」(同・編集者)

世代を超えて多くの人々に愛された西城秀樹さんの歌声を聞くことは、もうできない。

<取材・文/渋谷恭太郎>


【追加】2020-05-16

女性セブンのネット版にご一家の近況が掲載されていましたので転載します。

奥様は勿論、お子様3人も思いやりの深い温かいお人柄のようです。

お父さんっ子だったご長女さんがメンタルヘルスを少し害しておられるのが心配ですが、元気を取り戻すように願っています。


西城秀樹さん妻が明かす子供達の今と「内田也哉子からの手紙」

 
Yahoo!ニュース
 
告別式で飾られた西城さんの特大パネル。歌声はいまもファンを魅了する

 生前、子供たちを「宝物」と言い、深い愛情を注いできた西城秀樹さん(享年63)。それだけに、3人の子供たちも父を亡くした喪失感から立ち直るために時間が必要だった。三回忌を前に妻の美紀さんが明かす「子供たちの成長」の記録──。

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 人々を熱狂の渦に巻き込み、数々の伝説を築いてきた昭和の大スター・西城秀樹さんが急逝したのは、2018年の5月16日。その三回忌が、目前に迫っている。

 ワイルドな彼の“絶唱”をもう一度見たいと願うファンの声は後を絶たない。その声にこたえるように、命日には『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などでの歌唱シーンや、バラエティー番組のトーク映像などを収録したDVDが発売される。

 ほかにも、三回忌にあたり在りし日の西城さんの姿を目に焼き付けることができる、さまざまなイベントが計画されていた。大阪と広島では、若い頃の秘蔵写真や実際に着用した衣装などを展示する写真展が、東京ではコンサートやテレビ局の蔵出し映像などを上映するフィルムコンサートも開催予定だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で、DVDは発売されるものの、イベントは延期や中止を余儀なくされてしまったのだ。

「1年かけて準備してきたので、本当に残念です。何より楽しみにしてくれていたファンのかたがたに申し訳なくて…三回忌も、お世話になったスタッフのかたをはじめ皆様にお声がけしていたのですが、感染拡大防止のため、大幅に縮小して近親者のみで行うことになりました。秀樹さんが生きていたら、『みなさんの健康を最優先に』って絶対に言うと思うから。私たち家族はこの2年間、『こんなとき、秀樹さんならどう言うかな』と、いつも考え続けてきました」

 西城さんの妻・木本美紀さん(48才)は、静かにそう胸の内を明かしてくれた。

 西城さんがこの世を去ってから2年が経ち、美紀さんをはじめ残された家族の心境も少しずつ変化してきたという。

 2003年を皮切りに、計8回脳梗塞を患い、長年リハビリを続けてきた西城さん。快方に向かっていると思われた矢先、家族団欒の最中に突然倒れて病院に搬送され、家族に見守られて旅立った。

「秀樹さんが倒れてからしばらく私の記憶は断片的なんです。寂しくて不安で、でもやらなければならないことはたくさんある。だから必死で、2018年はあっという間に過ぎた感じでした。昨年、一周忌が終わったあたりから落ち着きを取り戻し、ようやく悲しみを実感する余裕が生まれたように思うんです」(美紀さん・以下同)

 3人の子供たちは、そんな美紀さんの心中を察していたのだろうか。亡くなって1年ほどは、大好きなパパとの思い出を口にすることはなかったそうだ。

「きっと子供たちなりに気を使って、張り詰めていたんでしょうね。“家族みんなで”とか“5人で”という言葉を口にしてはならないかのような雰囲気が生まれていたんです。子供たちが『家族みんなで旅行した石垣島にまた行きたいね』とか『パパが好きだった旅館にまた泊まりたいね』と自然と口にするようになったのは、ここ最近のことです」

 特に美紀さんが胸を痛めたのは、4月に高校3年生になった長女の異変だという。お父さんっ子で、脳梗塞の後遺症を抱えていた西城さんの手伝いも率先して行っていたという長女は、亡くなった後も気丈にふるまっていたそうだ。

「長女ならではの責任感で、私や弟たちに心配をかけまいと気を張っていたのだと思います。本当は、とても悲しくて寂しくてつらかっただろうに、それを見せなかった。でも、昨年の秋頃から精神的に不安定な様子を見せることがあって。きっと、張り詰めていたものが解けて、一気に喪失感が襲ってきたのでしょう」

 西城さんに似て、優しくて純粋だという長女は、進路について考えている真っ最中。「パパのように人を笑顔にする仕事がしたい」と、看護や介護の道に興味を持っているという。

◆内田也哉子さんが手紙をくれて…

 高校2年生の長男と高校1年生の次男も、それぞれ未来に向かって歩み始めた。サッカーが得意な長男は、昨年4月、プロサッカー選手を多く輩出する強豪校に進学し、寮生活を送っている。

「小さい頃から『ぼくはネイマールになるんだ!』なんて言っていて。それを聞いた秀樹さんは、『そうか、がんばれよ!』と励ましていましたね。まだ道半ばですが、まさかここまでがんばれるとは、私も驚いています。

 次男はインドア派。絵を描いたり、映画や演劇、音楽に親しんでいます。

 面白いことに、2人とも父親の身長を抜くのが目標のようなんです。秀樹さんは長身(181cm)で、息子たちはまだ170cmそこそこですが、たくさん牛乳を飲んで毎日のように身長を測っていますよ(笑い)」

 子供たちに西城さんの面影を見ることも増えた。長男は20代後半~30代の日焼けして髪が短かった頃の西城さんに、次男は10代の頃の西城さんによく似ているそうだ。「ぜひ芸能界デビューを」と望むファンからの声もあるが、現状、子供たちはその道は考えていない。

「3人とも秀樹さんが40代後半になってから生まれた子ですし、秀樹さんの過去の苦労時代を全く知りません。デビュー当時は、レコードを売るために車で全国を回り、車中で寝泊まりしていたそうですし、大変な世界だというのは私もわかっているつもりです。秀樹さんも“普通に”育ってくれればいいと、いつも言っていました」

 しかし、西城さんが生きた芸能界とのつながりはいまも深く、それが家族の支えにもなっている。“新御三家”の1人で親友だった野口五郎とは、いまもつきあいが続いている。

「五郎さんは、まるで親戚のおじさんのように子供たちのことを気にかけてくれていて、3~4か月に1度、子供たちも含めた食事会を開いてくださるんです。五郎さんのお子さんたちと、うちの子たちが同じ年代ということもあって、子供同士もLINEで連絡を取り合っているんですよ。

 浅田美代子さんもお手紙をくださったり、岩崎宏美さんがクリスマスカードをくださったり。みなさんの温かいお気持ちに支えられていると実感しています」

 生前の西城さんが“芸能界の姉”と慕っていた樹木希林さん(享年75)とも不思議な縁で結ばれている。ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)での共演を機に2人は交流を深め、樹木さんは西城さんを弟のようにかわいがっていた。

 その樹木さんは、西城さんが亡くなってから4か月後、“弟”の後を追うようにこの世を去った。

「昨年、東京で秀樹さんのパネル展を開催したのですが、偶然にも、同じ時期にすぐ下のフロアで希林さんのパネル展をやっていたんです。見に行った際、お菓子と手紙を届けたら、後日、也哉子さん(樹木さんの一人娘の内田也哉子)がお手紙をくださったんですよ。このような接点が生まれるなんて驚きましたが、生前からのご縁が導いてくれたのかもしれません」

 晩年は自分のことより家族の今後ばかりを案じていたという西城さん。空の上から降り注ぐ西城さんの温かな眼差しに見守られながら、最愛の妻子は、新たな一歩を踏み出そうとしている。

※女性セブン2020年5月21・28日号より


by nigi-style | 2018-05-19 06:21 | 生き方考え方 | Comments(0)